バブル(泡)が消えた?

1980年代後半のバブル(泡)景気の時代は今でも忘れません。若者が白い高級車ベンツに乗って街中を走る光景を見て、如何に異様な時代であったことが目に焼き付いています。当時は株も不動産もゴルフ会員権も価格がうなぎ上りでとても異常な時代でしたが、日本人はその変容さに気が付きませんでした。株価も1989年12月29日に38915円という史上最高値をつけましたが、土地投機等を抑えるため金融引き締めにより地価と株価は瞬く間に暴落していきました。

あれから失われた10年、20年、30年と日本経済の長期低迷によって、経済界はもとより市場関係者も今日に至るまですっかり自信を無くしてきました。ところが本日「まさか」という日が到来したのです。日本の市場関係者は米国の半導体企業NVIDIAの2024年1月期通期決算の行方に早朝から目が離せなかったのです。産業界全体もAIが牽引する半導体業界に新風を巻き起こしてほしいのが現実です。

本日2月22日は漸く日本経済がバブルを消し去ったように感じました。年初来、右肩上がりで上昇してきた日経平均が遂に34年ぶりに39000円という史上最高値を更新したからです。おそらく2024年2月22日という本日は今後の歴史に残る日になるだろうと考えます。3連休を前にして歴史的な瞬間に感動を覚えた投資家や金融関係者の方々は多いのではないでしょうか。今後の日本経済に心理的にもプラス方向へ働いてほしいものです。

センスを磨こう!

センスにも色々なセンスがあります。デザインセンスとかファッションセンスとか、ビジネスでいれば経営上必要とされる様々なセンスとか考えられます。ビジネスセンスを身に付けるには自分の得意とする分野において日々の経験と努力が欠かせません。自分に向くか向かないかは様々なビジネス上の経験をしてみなければわかりません。大事なことは常に自分自身を信じて、自分と違った要素を持つ他人と比較しないことです。

つまり、他人と競っても精神力を消耗するだけで自分自身を成長させられないからです。アスリートでも独自の練習を積み上げるから他人と比較しても成長の仕方が違います。人は自分の成長を環境のせいにしますが、自らを普段と違う環境に晒さないと内面的に変わるはずがありません。いつも同じ環境に身を置いて自分を変えようとしなければ、歳を重ねても自分自身が成長することはあり得えません。

センスを磨こうとするならば、違う人材の集まる場所へ日々時間が許す限り積極的に行動することです。他人と比較しないと言いましたが、他人の動きを観察して自分独自のセンスを身に付けるべく日々努力することです。何でもオリジナルというわけにはいきませんので、真似ができそうと考えたならば周囲の人の行動パターンをよく研究することです。良い意味で「人のふり見て我がふり直す」ことがセンスを身に付ける意味で得策かと考えます。

出生数

先日、2023年の出生数が72.6万人と発表されました。団塊世代の出生数の実に4分の1です。このまま進みますと将来は現在の人口の半分、およそ6千万人台となるでしょう。政府は盛んに少子化対策を打ち出していますが、すぐに出生数が改善するものではありません。実は人口減少の兆しは40年前からあり、日本の高度経済成長のピーク時から始まっています。

私の記憶にあるのは、当時からサラリーマンの扶養控除の額が殆ど変わっていないので、賃金の停滞とともに家計収入が目減りして子育てが長期にわたり厳しくなってきたようです。当時は日本の人口減に対して経済が順調だったのであまり否定的な議論は少なかったと考えます。地方の過疎化の議論も随分先になって増田元総務大臣から警鐘が鳴らされたように記憶しています。

少子化は地方の高齢化にもつながりますので、いずれ市町村が消滅するという話にもなります。為替も現在より円高市中金利も高かく、米国との貿易摩擦も起きていた時代ですので将来の人口減に注目が行かなかったのでしょう。もし、この頃に真剣になって国が少子化対策を長期的ビジョンで政策を打っていれば、おそらく現在のような事態には至らなかったと考えます。

生産人口の減少は将来的にGDPが減少することに繋がります。一方、日本人の金融資産は円安・低金利下でも徐々に増えています。家計に眠っている金融資産を運用することも併せて重要です。過去を嘆いても仕方がないので、今後の日本はどんな国を目指すのかを政治の世界で真剣に考えて議論してほしいところです。

 

家庭環境

最近、娘がたまにワンちゃんを連れて帰省してきますが、それ以外の日はTVで動物の取材番組を見るくらいで、日常は動物に接する生活をしていないので気楽だと言えば気楽な毎日です。歳を取って感じるのは動物の本能に感動することが多いことです。昆虫でも鳥類でも魚類でも野生動物でも同じことが言えますが、自分の命を懸けて子どもを大切にする習性には驚きます。誰も教えないのに本能を受け継いでいることも不思議です。

人間は親を見て子どもが順調に育つかといえば、そうとも思えないことも多いと感じます。人間の場合は育つ環境も違い、人と比較される社会の中で育ちますので人格も違ってきます。その点で先に述べた昆虫や鳥類や魚類や野生動物などは、一様に子育てに親の人生を必死に捧げている風に見えます。昨今の人間社会では親による子への虐待など動物にも劣るような事件が報道されますが、同じ人間として不思議で仕方がありません。

確かに、かつては地域のコミュニティや動物を飼育する環境に触れる機会も親子同士で多かったように思われます。やはり人間は集団に揉まれて成長する面が多々あります。私自身も特別に人並み以上に子どもを溺愛したわけではありませんが、若い頃を振り返ってみると「三つ子の魂」を重んじて、子どもと一緒に子どもの成長に相応しい過ごし方をしてきたような気がします。やはり、家庭環境が子どもの成長に一番強く影響してきたのでしょうか。

振り返り

先日、ニデックの新社長に内部人材に代わってソニー出身者の方が指名されたニュースを拝見しました。創業者の永守氏によって急成長した巨大企業をオペレーティングするのは容易なことではありません。ニデックのような安定した優良企業でも過去に何度も事業承継で躓いていますが、後継の経営者選びが如何に難しいかを物語っています。創業者が現役で長くトップダウンで企業を牽引している企業に限って中々容易に後継者は見つからないものです。

創業者が長年率いてきた企業の事業承継が、大企業でも中小企業でも容易にいかないのは不思議な事ではありません。事業承継が上手くいっているケースは多くないと考えます。中小企業が大きく成長できないのは親族承継という家業から脱皮できないからです。ある程度の企業規模と健全な財務体質になってくると、資本と経営が分離しなければ上場しない限り将来的に大きく成長する可能性は低いと考えます。

弊社の事業承継は少ない成功事例の一つではないかと考えます。周囲からは成功の理由は何かを聞かれますが、20年来の祈願である事業承継目標の集大成であるとお話ししています。ぶれない一念で経営していると、いつしか願いが実現する扉が開く日が到来すると思うのです。オーナー経営者といえども、公私混同を慎むことが一番大切な事ではないでしょうか。企業は社会に開かれたものだと今日まで考えて経営してきましたので良かったと思います。

 

 

ランチ

時々、最寄りの駅近くにある定食屋さんで一人ランチを摂りますが、決まって注文するメニューはホッケ定食です。初めて社会人として赴任した札幌で、寮生活での食卓によく出てきたのがホッケです。鱗もない皿一杯のグロテスクなホッケが、九州生まれの私には味覚も含めて中々苦手の魚でした。ニシンも時々寮では出ていましたが、小骨ばかりで養豚場での餌にもなるようなものでした。

九州ではアジやサバやイワシが豊富で鱗がある魚が普通です。鯛は高級魚なのでお祝い事などでは出ますが、普段は良くてハマチなどが食卓に並ぶという程度です。アジはサバより値段が高かったように記憶しています。田舎に住んでいた頃、毎週やってくる行商のおばさんから買ったサバが3キロ100円だったことを当時は安価で今でも記憶しています。

当時は肉料理などはほとんど食べる機会はありませんでした。肉料理と言えば、たまに飼っているニワトリを調理したりする程度でした。話がそれましたが、私は肉料理より魚料理が好みです。しかし魚は鮮度が大切なので、美味しい魚料理を出してくれるお店は少ないのが現実です。本日もランチは定食屋さんで大好物のホッケ定食を注文したのですが、隣のシニア夫婦は唐揚げととんかつ定食でした。

 

大河ドラマ

 昨日、うっかりブログの記述を忘れていましたので前日分として投稿します。昨今、NHK大河ドラマについて様々な批判が聞こえてきます。昨日も著名な歴史家の講演をお聞きしたのですが、やはり歴史の歪曲した表現に対して痛烈な批判をされていました。確かに歴史学者の立場からすると、最近のNHK大河ドラマは間違った史実なので視聴者には観てほしくないという旨があるのは理解できます。

フィクションとしての時代小説と捉えれば自由に表現されることも有り得ます。民主主義社会では言論や表現の自由が認められていますので、単なるフィクション化したドラマだと素人的には考えることも可能です。朝ドラもどこまで真実なのか素人には分かりませんし、視聴者を引き付けるためにフィクションとしてドラマの内容を面白おかしくすることもあります。

歴史は後世に伝えるために時の勝者側によって都合よく作られていると言われています。歴史学者によって様々な異論があるのも事実です。最近は情報化社会であるがゆえに、様々な映像コンテンツが世の中にあふれているためTV番組の視聴率が低迷しているようです。報道の自由を下に視聴率を上げたい製作者側の苦労と批判的な意見は交錯しますので相違点も理解したいと考えます。