スポーツマンシップ

毎年1月の箱根駅伝は地元の戸塚中継所周辺で応援しています。たまたま本日は東洋大学陸上部の酒井俊幸監督の講演を聴く機会がありました。常連の優勝チームを率いる青山学院大学の原監督の講演は何度か拝聴しましたが、伝統ある箱根駅伝でトップ争いをしている両大学のチームを率いている監督が、何故好成績を上げることができているのかその一端を垣間見ることができました。

ビジネスの世界で成長する要因も駅伝に通じるものがあります。チャンスと時間は誰にも平等に与えられていますが、能力を伸ばすには目標を定めて緻密な計画による考動(考えて動く)が必要だという事です。どのようなスポーツにおいても同じことが言えますが、理論的にはビジネスにも共通します。スポーツが苦手の人でもプロのスポーツ選手の話を傾聴することはできます。

本日の早朝にはラジオ深夜便で元中日ドラゴンズの今中投手のインタビューを聴きましたが、人はスポーツに全身全霊を注ぎ込むことによって、知らぬ間に人間性が磨かれることが良く分かります。スポーツの世界でスポーツマンシップという言葉があるように、ビジネスの世界でもビジネスマンシップもあって当然だと考えます。そのためにも様々なスポーツ選手に生き方を学んでほしいと思う次第です。

 

 

小説を愉しむ

最近、小説が売れないと直木賞作家の方が話していました。でも何のジャンルかわかりませんが書籍の販売部数はアマゾンなどを通じて伸びているようです。Clubhouseなどで紹介されて書籍の販売に寄与している面もあるのではないかと考えます。私も紹介された書籍はビジネス絡みのハウツー本が殆どでその都度ブックマークにデータ保存していますが、実際に購入するのは一部で殆ど読み切れないのが現実です。

最近の方は時間を節約して多くの情報を収集することに夢中となっていますが、歴史小説や純文学作品を読むことも人格のバランス形成の上で大切ではないかと考えます。確かに時代の変化が著しい中で短期的にビジネスの成功を夢見ることも必要ですが、20年30年の視点で日本の有り方を捉えてじっくり腰を据えて長期戦略を練ることも重要です。そこには文学的な思考も人間的に身に付けなければならないと考えます。

私自身もいつの間にか文学に触れる機会も少なくなりましたが、直木賞作家の嘆きに共感して素晴らしい文学に触れてみたくなりました。実はサスペンスものは書籍も読みましたが、TVドラマで消化することが殆どです。書籍の中には小説をドラマ化して内容がつまらなく感じることもあります。書籍には深くて自由な想像力を掻き立てる魅力がありますので、日本の小説に若い新たな読者が今後とも増えていくことを願っています。

 

週末のつぶやき

63歳で旅立った私の父が人生100年時代のこの世にもし生きていれば、昨日の9月15日に満100歳を迎えるところでした。父とは一度も同じ屋根の下に暮らしたことが無いので、正直なところどのような人物的なのかは息子ながら分かりません。晩年は横浜の桜木町で小さな会社を経営していましたが、会社の内情までは存じ上げておりません。

父は大正生まれで農家の一人っ子でしたが、家業を継ぐまでもなく周囲の人の勧めで両親(私の祖父母)は遠く筑豊炭鉱で出稼ぎをしながら父を旧制高校(現在の国立大学)へ進学させたようです。当時は戦時中のため父は学生予備隊で関東の土浦で海軍航空隊に所属していたと聴いています。軍人魂のせいか非常にプライドの高い人物に私には見えて生涯親しく接触することもありませんでした。

何故、関係ない父の話をしたかと言いますと、Googleカレンダーに誕生日は意識ありませんが、命日だけは登録していましたので自動的に知らせてくれました。再婚を繰り返した父なので私自身両親の傍で育ったわけではありませんが、仏壇には祖父母と一緒に父の位牌は祀っています。母は福岡の太宰府にあるお寺の納骨堂に安置して私が管理しています。

最近は夫婦の離婚も珍しくありませんが、私の子ども時代は夫婦の離婚も周囲ではなかったし、子どもを手放す家庭は少なかったと思います。しかし、両親離婚や親の事業の失敗という環境で子ども時代を過ごしたからこそ、次第に反面教師が芽生えて今日の自分を支えてきたような気がします。恵まれない環境ながらも陽転思考で生きてきたことが逆に幸いしたように思われます。 

親の責務

 親がわが子を命を懸けて守り抜くのは責務です。テレビで人間以外の動物を観察しますと、子どもを外敵から必死に守る親の姿に感動を覚えます。時には人間社会も人間以外の生き物に見習うべき点が多いと考えることもあります。2002年9月に小泉首相が電撃的に訪朝して20年の月日が流れましたが、昨日は当時の模様がテレビで報道されていました。

時の小泉首相による訪朝の英断があったからこそ拉致被害者救済への突破口となり、同年5人の日本人拉致被害者が無事帰国を果たしました。田中均アジア太平洋局長による北朝鮮との事前交渉の報告を受けて、首相官邸は秘密裏に米国との合意を取り付けて訪朝が決断されたようですが政治家の命がけによる行動が拉致被害者救済において実を結んだと言えます。

その後は、対北朝鮮への日本の継続的な戦略と交渉に繋がらなかったために今日の事態に至っています。今日の田中均さんや蓮池薫さんのインタビューを聴きながら、日本政府の拉致被害者救済への戦略の欠如と困難さに成程と感じました。拉致被害者ご家族の20年にわたる運動が未だに実を結ばないことに子どもを持つ親として切なさを深く感じた次第です。

 

会報づくり

本日、10月初旬発行予定の「ふるさと会」の会報が漸く完成しました。コロナ禍の中で20ページに会報をゼロから作り上げるのは難作業で、構想段階から原稿集め、原稿の修正・校正作業、郵送作業まで約半年に及びます。この編集長を引き受けて今年で3期6年目に入りました。私自身そろそろ編集長のお役目を降りたいのですが、後を継いでくれる人は簡単に見つからないのが現状です。

時代も時代なので電子出版ができればいいのですが、会員の平均年齢が6,70歳くらいだと思われますので敢えて紙媒体の印刷物として会員や関係者の方宛てに郵送しています。この2年余りコロナ禍で会員間のリアルでの活動が自粛されており、各行事を取材して掲載記事を集めることも不可能でした。当初しばらく休刊する方法も考えましたが、実際何とかなるものです。

会報は春と秋の年2回発行していますが、流石に会員の皆さんも広報部の苦労を分かっていただき、掲載記事へのご協力がこれまでよりも得られるようになりました。新聞や雑誌など世の中には日々取材が行われて記事として購読者の手元に媒体が届きますが、少しは制作する出版社側の苦労を知ることができました。プロの専門家ならば記事は書けますが我々のレベルでは記事の収集も容易ではありません。

 

リカレント教育

先週末に10年ぶりにお会いする知人が来社されました。かつて産学連携でJSTから大学発のベンチャー企業への助成金を受けた際にプロジェクトでご一緒した仲間でもあります。残念ながらプロジェクトは成功しなかったのですが、新規ビジネスをゼロから立ち上げる際に産学連携というスキームの難しさも経験しました。

彼はその後オンラインでのPCスクールを全国的に展開して当初は順調でしたが、その後はお互いに音信不通でした。今回、たまたま訪問のきっかけとなったのは、弊社の記事をJALの機内誌で見かけて電話してきたのです。彼は東京オフィスと熊本を月に何度も往復しているらしく、たまたまJALを利用したら弊社の事が気になったらしいのです。

現在はビジネスの傍ら東北大学の博士課程に通って医学博士の資格を目指しているとのことでした。詳しい話は聞いていませんが、将来AIでうつ病を治療出来たらと話していました。現在は引きこもりの生徒にITを教えて企業に就職をあっせんする仕事を全国的に展開しているようです。改めて社会人として学び直すリカレント教育の必要性を感じます。

頭脳も明晰で大企業を退職した後、米国でMBAを取得して日本でベンチャー企業を興そうとした際に、彼の教え子である大学教授の紹介で知り合ったわけです。現在は彼の会社も20周年を迎えると話していましたが、昔から人のやらない事業を立ち上げるのがうまい人でした。弊社のプロパー社員が役員になったことを機内誌で知って大変喜んでくれたようです。

 

週明けのつぶやき

 9月10日の中秋の名月十五夜)の日は、珍しく夜空に雲一つなくオレンジ色の大きなお月さまを拝見できました。南西のベランダ側からは「パンパン」と音がして見上げると僅かな時間でしたが花火が打ち上げられていました。夜の気温も3,4日前の暑苦しさから一変して急に涼しくなりました。

子どもの頃には十五夜の夜は部落では子ども同士で相撲を取ったり、団子を持ち寄って皆で食べたり部落中が家族同士で賑わっていたことを記憶しています。その後は若者が都会へ出て過疎化が進み、現在は部落中が無人の空き家状態です。子どもの頃は今より貧しかったけど部落中が生き生きとして寧ろ幸せでした。

我が家も妻と二人きりの毎日ですが、自宅にいて月見を愉しんだり、遠方の花火を眺めたりごく平凡な生活を楽しんでいます。互いに健康で自由にくつろげる日々の有難さに感謝したいものです。今のところコロナ感染もなく、お互いに4日回目のワクチン接種も済ませました。コロナが齎した悲しみも世間にはありますが、私自身は生活習慣が整って現在のところ体調は万全です。