ゼロ金利の終焉

 金利の無い時代が長年続きましたが、漸く日銀がゼロ金利政策を解除すると宣言しました。今後は欧米諸国のように愈々日本も金利のある社会へ進むことが考えられます。確かに金利の上昇は社会に様々な影響を与えますが、リーマンショック後のアベノミクスによる異次元の金融緩和が執行され株価の回復に少しは寄与しましたが、デフレ経済が定着し、長期にわたり日本経済が低迷しました。

私自身も長年会社経営をしてきて過去には高金利にも悩まされましたが、寧ろ借入金を減らそうと経営努力をしたものです。しかし、金利が低くなると借りやすくなるため借入金はなかなか減らないものです。経済が上昇している時は資金需要も増えますので、金利の支払いをしながら会社の事業も成長します。

いつの間にか日本は低金利が普通となり、ドルを買い円が売られるようになり為替も円安が定着するようになったのです。円安は輸入物価の高騰を招き国内企業の業績を苦しめる結果となりました。一方、グローバル企業を中心に為替差益によって業績も堅調となり、中国経済の低迷から一転、日本経済が注目されるようになり、漸くゼロ金利の終焉を迎えました。

安楽死の問題

先日、民放テレビで「安楽死」の問題を取り上げていました。安楽死を認めている国は米国はじめ欧州を中心に存在します。日本は半世紀以上前から議論されてきましたが、法的には現在も安楽死を認めていません。何年か前に医師が患者を安楽死させたことで懲役18年の実刑を受けた事件がありましたので、日本では法的には厳格に安楽死は違法とされているのが現実です。

しかし、日本人で安楽死を求めて止む無く海外の医療機関に転院して安楽死を選択するケースは多いと言われています。病に苦しんでいる方の立場を考えると理解できないこともないですが、患者の思いを尊重する選択肢も考慮しつつ、人の命の尊厳にも十分配慮することが大切だと考えます。安楽死の問題の難しさが未だに存在することを知ることができて大変参考になりました。

人が死を選択することのない世の中でなければならないと考えます。例え余命が宣告されていても、緩和ケアなど病の痛みを和らげる方法により人命を最後まで大切に扱うのが医療機関の責務だと考えます。海外には安楽死を認めるべきか相談に乗る慈善団体が存在し、患者に寄り添い、意思を尊重して、最終的には医療機関安楽死を委ねるようですが、日本社会には受け入れにくい印象を抱きました。

海外留学

 本日は現役の大学生で海外留学してきた学生のヒアリングをしてきました。私が面接を担当したのは5人の学生でそれぞれ韓国、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イギリスに昨年9月から今年の2月まで約半年間留学してきた学生でした。主に留学した目的、留学で得られたこと、日本と海外の学生の違いや価値観の相違など1人20分程度のヒアリングでした。

基本的に私費留学ですが、今回の面接の結果で助成金を支給する裁定の場でした。今回は多くの留学生の中でも選ばれた人たちで、発言もしっかりしていて優秀な学生ばかりでした。世界から集まる留学生の勉強に打ち込む姿勢が日本の学生と違うと話していました。またオーストラリアでは選挙に行かないと罰金が科されるためと、政治に関心を持つ学生が多いと話していました。

日本では投票率の低い選挙でも、若者が政治に無関心でも、何ら国政の動きが無い現状に対して、日本も選挙を義務付けることで学生から政治に関心を抱くようになるのではと意見していました。日本の政治はもっと国民の声に耳を傾けるようにならなければ、政治も変わらないし、海外から特別な国と見られてしまっているのが現状です。そのことを留学生も感じていました。

社会の一員

産業界での春闘の賃上げ回答が積極的であることが連日のニュースで報道されています。組合がある上場企業が中心ですが、中小企業でも大手と足並みがそろうことを期待しています。先日、ある自動車メーカーによる仕入れ価格の引き下げで下請けいじめが社会に公表されましたが、社会が変化した現代は元請けの一方的な都合で下請けに値下げを強要する時代ではないと考えます。

互いに切磋琢磨しなければ、元請けによる値下げの一方的なしわ寄せによって下請けが困窮する企業社会であっては勤労者の間に所得格差が広がり、決して幸せな社会は築けないと考えます。国民の7割が中小企業に勤めていますので、彼らが幸せに感じない限り生活の満足度は向上しないのです。幸か不幸かコロナ禍によって働き方改革が進み、人々の仕事観も大きく変化しました。

これからの日本が良くなるためにも共存共栄の社会づくりが必要となります。我が国の少子高齢化は避けられませんが、社会福祉の充実を図り、安心して生きていける地域社会での環境づくりを目指していかなければならないと考えます。そのためにも払う税金は社会の一員として還元する姿勢で、所得を正しく申告して社会に役立てなければならないと考えます。

 

オンラインシンポジウム

デジタル時代の進化とともに「Well-beingとスマートシティ」が今後の課題となるということで、本日は某大学と海外の学者を含めてのオンラインシンポジウムを3時間にわたり拝聴しました。特に日本での高齢化社会において、デジタル技術を活かしたスマートシティを構築するにはデジタルデバイドを払拭することが大切となります。さらにデータガバナンスにより情報の信頼性を堅持することも大変重要です。

また人々のWell-beingが損なわれないような健全で明るいスマートシティを目指さなければなりません。本日ご登場の先生方の問題提起と後半のディスカッションは今後の課題を追求していく上で大変参考となりました。実装化には産業界が取り組まなければなりませんが、OECD諸国とアジアの日本との違いも認識しながら理想的なスマートシティが出来ることを願望します。

DXも社会的にはまだ道半ばの現在において、近い将来スマートシティを実現するためには政府の役割がもっとスピーディに進行し、OECD諸国のレベルに遅れることなく進められる必要があります。西欧の個人主義的な国民性とアジアの集団主義的な側面の違いがWell-beingにおいての捉え方にも違いがあるようです。示唆に富む本日のテーマでした。

余生

近年、若い藤井聡太八冠の目覚ましい活躍に刺激されてプロの将棋に興味を持ち始めました。私自身は将棋に関して全くの素人で、駒の動かし方そのものは何十年も前から知っていますが、成人してから他人と勝負したことも専門家の下で将棋を習ったこともありません。しかし、同じ集合住宅に住むアマ将棋6段という方と偶然に顔馴染みとなり、その方が毎日のように通っている将棋道場に来ないかと何度も勧められました。

結局、一度だけ対戦の様子を観ただけですが、その後、その方は病で倒られて現在は介護老人施設に入っています。現役中に真面目に習っておけば良かったと今は後悔しています。最近は日曜日のプロの将棋をとても楽しみに観ていますが、意外なほどプロは差し手に時間を掛けるので素人の私でも手を読める場合があります。終盤は詰将棋のような状況になるので勝敗が予想しやすいのです。

これまで将棋を真剣に習わなかったのも、将棋は一日中座ったままで体を動かすことが無いので運動不足になりがちのことと、凝り出したら他の趣味ができなくなると考えたのです。プロの対戦を観るだけで素人ながら差し手を読む訓練になると感じたのです。蕎麦打ちも、料理も、芸術の観賞も、旅行も、多少は仕事でお役に立てればと考えています。自分なりの余生を愉しみます。

 

初対面

昨日、ある人物が我が家を初めて訪問してきました。私も初対面で果たしてどんな人物なのかお会いするまで興味津々でした。生まれは平成2年ということですので、日本経済がバブル崩壊してから長期低迷時代の人生を今日まで歩んできたことになります。たまたま両親は教員ということで、その後の大不況による民間企業の苦渋を味わった家庭に育ったわけではないようです。

どんな両親の下でどのような家庭で育ったのかわかりませんが、人が育つには様々な家庭環境や学校の環境そして親戚同士の人間関係が影響します。現時点ではお互いに知らないことだらけですが、今後どのように私自身も対応していくべきなのか正に未知の分野なので注目しています。性格的には冷静沈着で決しておしゃべりタイプではなく、かなり慎重な性格のようです。

両親ともに教員の家庭だと共稼ぎであることと、子どもが育った環境は周囲とはまた違ったのではないかと考えます。親は無くても子は育つと昔から言いますが、私自身も祖父母育ちなので両親の子育ては受けていませんので、どちらが子育ての環境としてベターなのか分かりませんが、子どもが育つ環境はとても重要です。今後ゆっくり観察していきたいと思います。